操体法を橋本敬三先生から学ぶ

鍼灸師の資格をとったのは、1975年5月です。

この頃は、再び芝居のほうの活動を再開し、映画「味覚革命論序説」というのを撮ったり、豊田勇造というシンガー・ソングライターのプロモーターとして、LPレコード『さあ、もういっペん』『走れアルマジロ』『血を越えて愛し合えたら」をつくっていました。

この間、依頼があると往診に出かけていました。芝居は勉強の必要もないが、生命にかかわるほうはすこしは勉強をしなくてはだめだと思い、懸命になるために、池袋北口にウリウ治療室を開きました。78年10月のことです。

初めは、鍼灸とカイロプラクティックという骨の矯正術との組合せでやっていたのですが、どうしても自信がもてず、いろいろな本をあさっているうちに、仙台の外科医・故橋本敬三先生が書かれた「万病を治せる妙療法」(農文協)というのを読んでびっくり仰天しました。私と同じように、それぞれのやりたい気持ちよさをたいせつにする考えで、すでにそれを医療の実践現場 で何十年もやっている人がいることに、感動したのです。

不快な生活の結果、運動系にゆがみが生じたものを、気持ちのいい方向、痛くない方向にふんわりと動かすことで、このゆがみや痛みをなくすやり方です。

操体法を学んで一年くらいした頃、「別冊宝島」の『街を耕す本」という企画で、心とからだ全般にかかわる健康法や自然医学を担当することになり、ぜひ操体法を紹介したいと思い、手紙をだしたところ、いただいた返事がまたすごいものでした。

「お便り拝受。操体法は専売特許ではありません。大自然の公法の一部です。誰でも理解できた人は、受益し他人にサービスすべきものです」

なんていい言葉でしょう、「専売特許ではなく大自然の公法」とは。こまっしゃくれた治療技術を、さも大事そうに秘法や秘儀にして、高い金をとって伝授する治療界の風習にはがまんなら ないものを感じている私に、このおおらかな寛大さはまさに新鮮でした。私の書いた文章をとても気に入ってもらい、「宝島文献がいちばん患老を慰めてくれました。家族に遺すいちばんの慰 めとうれしく思っています。誇るつもり頑張るつもりは毛頭ありませんがうれしいのです。支えてください。ありがたくてたまらない老いの極楽感です」というお手紙までいただきました。

操体法はそれ以来、快医学全体の哲学的基盤となっている大黒柱なのです。

瓜生良介

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